自分自身の過去のブログ記事なんかを見返しているとショックを受けます。わかりにくい箇所が多いからです。もちろんアップする前に読んでみていますが、その時は気づけません。
自分でも忘れた頃に再読してはじめてアラがみえてくることが多々あります。
私の場合わかりにくいの原因で一番多いのが「長い」ことです。
この「長い」には2種類あります。ひとつは一文が長いこと、もうひとつは構成上重要でない箇所が長いことです。
この記事ではその長くなってしまった原因分析と改善した方法をまとめました。なおソースは私自身の経験と主観なので裏付けは期待しないでください。
では以下、原因と改善6つです。
1.読点は一文に一つまで
読点つまりてん【、】です。
読点が多いとわかりにくい文になりがちです。読点の許容数は本よりもWebのほうがシビアだと思います。一つの文に2つ以上だったら再考です。
昔の私は読点を抵抗なく使いすぎていました。言いたいことを一気にタイプしたいために、次の文にゆずるということをしていませんでした。
というわけで解決方法(1つ目のポイント)。
原則として読点は一文に一つまで
こう制限すると自然と一文を短くしたり整理できるようになってきました。
もちろん読点が少なければわかりやすいとは限りません。逆に多くてもわかりやすい文もあります。ただ多くてもわかりやすい文を書ける人は根本的な技量が高いからできるのだと思います。安易にマネしようとして「長い一文をかっこよく決めよう」などとやるとほぼ失敗します。
また読点の数が多くなってもいい例外もあります。例「果物は、りんご、バナナ、みかん、キウイです」。こういうのはカウントしません。
また読点を減らし文を短くすることには単に分かりやすいという以上の価値を期待できます。自分がつい人の記事を読んでしまった経験からですが、おそらく途中からでも読んでもらいやすくなります。
2.頭の中にある全部を一気に書こうとしない
私のブログは専門記事が多いです。テーマは今までやってきた仕事関連など。
仕事ネタは趣味などより脳内情報のストックが豊富なので、どうしても主張・エピソードなどを全部書こうとしがちです。その結果重心が本題から逸れ、現在地がわかりくくなります。
オリジナルの体験は価値が高いですし、自分の場合そこがブログコンテンツの主役です。ただしいくら主役級でも記事に適した量にバランス調整する必要はあります。
適切な量を見極めるものさしの一つは、各見出しの本文量が同じくらいになっているかです。別に文量を均一化する必要はないですが、長くなっている項の原因が自分の主張やエピソードだったら問題ありです。
これについては可能ならエピソード等を短くすることで均一化するようにしています。しかしボリュームカットはしたくない、という場合もあります。こういう時は構成側を見直し、エピソードは別の項で一つの見出しの中にまとめます。あるいは記事ごと分割するほうがいいかもしれません。
というわけで2番目のポイントは…
頭の中にある全部を一気に書こうとしない。
これを意識したらだいぶマシになりました。今引き出しから出すべきか、別で出した方がいいか考えます。
付随して、気の置けない人に話すかのように書かないことです。話すように書こうとすると文章としてはわかりにくくなりがちです。また記事の最初からそのスタンスだと筋書きを軽視しがちです。各バランス調整もミスりやすいです。
3.例外を気にしすぎない、ツッコミ回避をしない
私は性格的に深く考えこんでしまうクセがあります。またツッコミを恐れる習性があります。
そのため「例外」を優先して考えてしまいます。すると正確に書こうとするあまり冗長になります。
例)この場合こうだ→この場合こうでない限りはこうだ
もちろんどれだけ長くなっても正確性をゆずってはいけないこともあります。ただ私はそういうテーマはほぼ扱いません。であるならば頭の中に浮かぶ例外は無視してわかりやすさを優先するべし。
3つ目のポイントは…
例外を気にしすぎない、ツッコミ回避をしない
いろいろ考えてしまう性格なので例外検討をするくせは抜けません。でもそれを実際に書くのは我慢しようと思っています。
また不完全な人間が不特定多数に発信する以上、必ず賛否あるいはツッコミどころは発生します。その事実を積極的に受け入れると同時に、もっと受け手の善意&読解力を信じようと思います。
4.下手なサービス精神や背伸びを避ける
私はリアルでは自分に無理をしてでも人に価値を与えようとしがちです。無私の自己犠牲とかではなく、強迫観念的な感じです。
「わざわざ自分のために時間を取ってくれている。それに応えなければならない。そうしないと自分が無価値と思われそう。」みたいな感じです。
会社などでは時折ピエロになっていた部分もあります(太宰治の人間失格を思い出してむなしくなったり…)。ただもちろんそれだけではなく純粋なサービス精神みたいな部分もありますが、どこか背伸びをしているのかもしれません。
とまあこんな性格なので、精神状態によっては時折Webの執筆でも同じような感じなります。つまりわざわざ読んでくれている人がいるのだから「そんなの知っているよ、当たり前だよ」と思われたくない。
そのため中途半端に別の視点を入れようとしたり、話を展開しようとしたり。
上手い人ならいいのですが、自分の場合脱線したりとっ散らかったりしがちです。こうして長くてわかりにくい文章になっていたことがあります。
ということで4つ目のポイントは…
下手なサービス精神や背伸びは意識して封印。
私は文章のプロを目指してブログを書いているわけではないです。なので自分と読み手双方のために、シンプルに情報だけが伝わる書き方がベストと割り切っています。
5.見出しは多く、具体的にする
基本的にWebの文章は流し読みされますが、”見出し読み”もあります。
見出し読み…という言葉はないかもしれませんが、記事の全見出しのみ読んで終わることを私の中でそう呼んでいます。自分自身がよくやります。
ですので見出しだけ追ってもわかるようにすることはユーザーに対して親切です。
読み手が全体像を把握しやすくなるため、結果として「長くてわかりにくいなあ…」を防ぎやすいはずです。仮にいまいちな文章でも迷子が減りますし、次の見出しまで行けばある程度リセットもされます。
そもそも長くてわかりにくい、の原因は読み手側にもあるのかもしれません。本はみんなじっくり読みますが、Webは流し読みです。もともと頭からしっかり読む気がないのに「長くてわかりにくい」と言う。
でも読み方にケチをつけるわけにはいかないので、こういう努力は書き手側がしないといけません。
そして見出しは具体的なほうがいいです。
- 〇〇について →×
- 〇〇ならば〇〇しよう →◎
これは見出しだけ読んでもわかるためでもありますが、書いている自分のためでもあります。見出しに結論を書いてしまえば冗長にならずに済みます。また書きながら主題を見失うこともありません。見出しごとの要点は一つがいいですが、それも自然に達成しやすくなります。
ということで5つ目のポイントは…
見出しは多く、具体的にする
6.文章に頼らずデザインを使う
Webの場合、「長くてわかりにくい」の解決法の一つはデザインを使うことです。
同じ文章でも蛍光アンダーライン、装飾の囲みなどを使うとグッと読みやすくなることがあります。
リストや表、画像、吹き出しなど使えるならバンバン使いたいです。
実際には長くても、長いとは感じにくくなるはずです。なぜなら長いという感覚は、単調さからくる錯覚だったりするからです。
またデザインを使おうと意識するとよい理由は他にもあります。一文一文が長すぎる文章がマッチしなくなり、自然と短くする意識が強くなります。また文脈力や接続詞に自信がなくてもなんとかなります。その辺はデザインが担ってくれるからです。
さらにデザインの効果は他にもあります。例えば飛ばし読みでもアンダーライン部分には目が行くことが多いです。その前後に効果的な接続詞があれば自然と目が行くかもしれません。こういう小さな工夫の積み重ねから、結果として「頭からしっかり読んでみるか」が生まれるかもしれません。私自身がつい全部読む気にさせられるときはこんな感じです。
ということで6つ目のポイントは…
文章に頼らずデザインを使う
まとめ
- 読点は一文に一つまで
- 頭の中にある全部を一気に書こうとしない
- 例外を気にしすぎない、ツッコミ回避をしない
- 下手なサービス精神や背伸びを避ける
- 見出しは多く、具体的にする
- 文章に頼らずデザインを使う
上の6点以外にもこんなことに気をつけています。
- ( )はなるべく使わない…私は一時期( )を多用していました。ただ自分が読み手の場合、ペースをぶち切られた感じで嫌なのを思い出して極力控えるようにしました。
- 熟語を使って文字数を削減…私は一時期難しめの熟語を避けていました。「Webの文章は中学生がスムーズに読めるくらいがいい」とよく言われますが、それをそんな風に解釈していたからです。でもそれで言葉遣いが冗長になったら「読めるけどわかりにくい」になるだけです。難しいところですが、現在は熟語を使って文字数を減らす方を選択しています。
- 漢字の割合…これはチェックしづらいですし、私の場合これがわかりにくさの原因ではないと思います。ただあまりにも違和感を感じたら漢字の割合だったということはごくまれにあります。
余談~長いことそのものが悪なのではない
最後に余談とか書き始めちゃう時点でこの記事に反しそうな気もしつつ…
本記事は長くてわかりにくいをテーマに書きました。なので「長い」を改善するところに焦点を当てました。
でも本当に悪いのは「長いことそのもの」ではなく「わかりにくいこと」です。つまり「長い」を解決しても「わかりやすさ」が上がらなければ意味がありません。
Webは拾い読み前提で書いたほうがいいものです。となると文を単に短くすればいいとは限らないと思っています。拾い読みされるなら「各文は長くなるがわかりやすくなる」というパターンもあるからです。
例えば各一文だけ見ても通じるようにする。そのためには前の文から読解できるはずの主語を次の文でもあえて入れる。こうすると文字数自体は多くなりますし、重複も頭が悪そうに見えます。でもパパッと拾い読みしてもわかるので、適当なテンションで読んだ人でも「長くてわかりにくい」とは思わないかもしれません。
重ね重ねですがWebでは頭からしっかり読んではもらえません。学校ではこんな前提での書き方は教えてくれませんから、作文やきれいな国語の意識から自分を解放する必要があると思っています。
私の最近の自己テストは、公開前プレビュー時に音楽を聴きながら読んでみることです。これで大きくひっかかるところがなければOK。
さていろいろまとめてきましたが、この記事に書いたことをいつもできているわけではないです。この記事自体他人が読んだらわかりにくいのではないかと心配しています。ただそういう心配も有効活用し、今後も改善点を模索していこうと思っています。
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