2022年、全体主義的な空気を感じる今だからこそ読んでよかった本ベスト3

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料理とWeb制作についての本ブログですが、今日はあえて関係ない本について書こうと思います。

2022年(一部2021年の終わり頃含)に仕事系以外で読んだ本での個人的ベスト3です。

3冊とも第二次世界大戦直前~戦中が時代背景です。どれもこの時世だと身近に感じたり感情移入できたりするものがありました。

2022年現在の日本。感染症、防衛、宗教などの課題が突き付けられ時代が変わったと感じる人が増えたと思います。私個人としても全体主義と個人主義の狭間で考えてしまうことが多くなりました。

では3冊を、紹介と感想という形で。

目次

1.ヒトラーを支持したドイツ国民

これこそ今の世相を客観的に見るのにぴったりの本でした。

以前は、大戦当時のドイツ国民はホロコーストなどナチスの行為を知らなかったとされていました。ところがこの本では、綿密な調査研究の結果国民はみな知っていたどころか積極的に支持する人が多かった、ということです。少数派が迫害されようとも”善良”な市民として支持すれば、あるいは見て見ぬふりをすれば自身は安全だし優遇される、と。従来の見解しか知らないとかなり衝撃的な事実です。

為政者+マスコミを中心として、警察、医師などがどうナチスに手を貸したか。個人的にはマスコミが全体主義を徐々に浸透させていったさまが印象的でした。ものは言いようとは本当にそうだし、情報発信の責任というのは本当に大きいです。

まともな裁判がない、厳しい法、ゲシュタポ…そんな世界。するとどうなるか、密告だらけで私怨などによるでたらめな密告すら横行する世界になる。取り締まり側もそのでたらめな密告を防ぐことに苦心する。引き回しやさらし者など人民裁判のほうが効果がある世界にもなる。独裁者が人々を操作しただけでなく、人々が制度を操作(利用)する世界になった…。

こんな風に書くとフィクションの世界のようですが、これが歴史の事実であったことを調査と取材で明らかにしてくれています。

為政者やマスコミからしたらこういった本は国民には読んでほしくないかもしれません。

ナチスドイツといえばフランクルの「夜と霧」や「それでも人生にイエスと言う」は個人的に影響を大きく受けた本でしたが、この本は別の意味で読んでよかった本になりました。

2.窓ぎわのトットちゃん

あまりにも有名ですが今まで未読でした。やはり名作と言われるものは裏切らないですね。

面白いからすいすい読めるし癒されるし学びも多かったです。

内容は黒柳徹子さんの子供時代のお話です。子供時代の黒柳さん(トットちゃん)が主人公ですが、もう一人の主役はトットちゃんたちが通う一風変わった学校を設立した校長先生(小林先生)。こんな教育者がいたのか、という驚きと感動の連続でした。

小林先生の生徒への接し方にはなんども驚かされました。子供を丸ごとぜんぶ受け入れること、子供を信じて見守ること。個人的に一番よかったのは子供を子供としてではなく、ひとりの人として尊厳をもって接することの大切さ。そしてそれを言葉ではなくすべて行動で自然に実践できることのすごさ。

またそれらが子ども時代のトットちゃんの目線で書かれているのがいいです。つまり小林先生はあの時そこまで考えていたのか、ということが大人になってからわかる寸法。読者としても教育論の押しつけなどとは全く感じずに、むしろほっこりした気持ちになりながら学べます。

エピソード単位にまとめられているので毎日少しずつ読み進める、という楽しみ方もできそうです。ただ面白くて読みやすいから一気読みしちゃいますが。

大平洋戦争直前~戦争中の時代。全体主義的なそんな時代に個人をこんなにも大切にするこんな世界もあったというのは私にとって救いであり、人類への希望を見たりもしました。

数年おきくらいに読み返したくなりそうです。

ちなみに先に絵本版を読んでからでした。絵本も簡潔でよいです。1・2巻通して30分で読めます。

3.黒い雨

こちらも作者と題名は知っているという状態で、ずっと気にはなっていました。今回図書館で偶然目に入ったのですが、やはり自然に手が伸びた理由は最近の核や原発関連の話の多さだと思います。

本の紹介を簡単にすると原爆投下前後の広島を舞台にした小説です。原爆投下から数年経った世界から1945年8月6日とそれ以降を日記の形で振り返っていくという構成です。その日記はセリフや描写などすべてが克明で、そこをともに歩き同じ光景を見ているかのような臨場感があります。

これまで原爆というと、現場はその瞬間から生きるか死ぬかだけの世界になったように思っていました。ところがこの小説で気づかされたのは、人々はそこでも日常を生きていたということでした。

例えば原爆投下直後の広島で事業継続のため銀行に振り込みに向かう知人などが描かれています。その時その場にいた人にとっては、原爆の本当の恐ろしさやその被害規模など把握できるはずもなかったということです。

こういった一市民たちの生活や日常の表現が終始巧みで、それが原爆の恐ろしさや悲惨さをより際立たせています。

これまで被爆者の体験談や原爆関連の他の作品、黒い雨訴訟のニュースなど原爆の情報に触れる機会は数多くありました。

ですが衝撃的すぎて悲惨すぎて、日本でたった数十年前に起こった事実なのにどこか遠いものもありました。それはわかろうとしてもわからないという諦めだったのかもしれないですし、無力感にあらがう術がないことへの一種の逃避だったのかもしれません。ですが今回この小説を読み終わることで原爆、被爆ということへの距離が変わったと感じます。

原爆と戦争というテーマに思いを巡らすとともに、小説や文学の持つ力のすごさを感じた一冊になりました。

まとめ

3冊の本について言えることですが、おそらく2020年以前に読んでいたらどこか昔のお話みたいに捉えてしまったところもあるかもしれません。

でも2022年の時世に置かれている身で読むと、自分をそこに置いてみるという作業を自然にしてしまうことに気づかされました。

本は読むタイミングも大事だなとはたびたび思いますが、今回ほど感じたことはなかった気がします。

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